スクリーンの空

パロディ

暗がりで震えるもの

 暗がり、また暗がりだ。目覚めさせてくれ。僕を目覚めさせてくれ。ここから出してくれ。僕は深く沈み込んでしまった。黒く重たい泥濘に。光は途絶えた。一筋の光も通さない深みに沈み込んでしまった。浮上することは出来ない。どちらが上なのかも分からないのだ。いまだに僕は落ち続けているのだろうか。光も方向もない。僕は目を開けているのだろうか。暗闇が深過ぎて、それすら分からない。おそらく闇の中に浮かんでいるのだろう。だって僕の体にはどんな微かな流れも触れてこないのだから。風の音一つ聞こえない。僕は重力が失われる地の底まで落ちてしまい、宙に浮いたまま停止してしまったに違いない。ここにはどんな声もない。どんな兆しもない。押し潰されて、空気さえも息の根を止めたようだ。どんな印も現れることはない。感覚は失われた。四方全てが壁となって僕を押し潰そうとしている。そうだ、僕は押し潰されるだろう。だからといって何も変わらない、僕はずっと押し潰されてきたのだから。

 ここにはどんな声も光も届かない。僕は潰れて泥の一欠片となるだろう。だからといって、それが何だというのか。僕は最初から生きていない。僕などは泥の塊だったのだ。僕は生きたことなどなかった。そうだ、僕は生きたことなどなかった。それなのに、僕のこの形はなんだろう。この輪郭は、この言葉はなんだろう。僕は生きていなかったというのに。僕などは埃かすや、もっと微細な、存在と呼ぶにも値しない、粉塵の集まりに過ぎなかったのに。それなのにこの体、この感覚は、何によってこの体、この感覚なのだろうか。この思考は、何によってこの思考なのか。これらは僕のものではない、これらは僕に由来していない。僕がどんな仕事をすればこれらを生み出せるというのだろう。これらを組成する粒子の百分の一だって決して生み出せやしない。僕は何も生み出せないのだから。僕の体さえも、それどころか僕の思いさえも、僕を押し潰そうとする壁、断固として表情を読み取らせようとはしない、禍々しいほどに物質的なこの壁と同じもので作られているのだ。

 僕は生きていなかった。僕は生きたことなどなかった。かつて僕は自己というものを放棄したのだった。かつて僕は自由を打ち壊し、粉々にして辺りにばら撒いたのだった。僕は決して動くことはなく、他人に動かされていた。僕は何物も形成しなかった。僕は何事も選び得なかった。どんな力も僕の内側からは湧いてこなかった。僕に意志なんてなかった。僕は堕落していた。落ちぶれて堕落していた。現実に屈して立ち上がろうとしなかった。粘土のように捏ね上げられるに任せていた。僕は風に舞い上がるビニール片のように無力だった。吹き飛ばされて、吹き飛ばされ続けて、吹き溜まりで出口を失い、ひたすらに淀み、薄汚れて沈着していた。この無力は失意だった。この無力は絶望だった。

 僕にとってはもはや内部は存在しなかった。内部にあった筈のもの、それは思い違いだった。僕にとってはもはや全てが異物だった。全てが傷一つない白い壁で、そそり立って僕を見下ろしていた。こいつらを僕が所有していたなどと、どうして信じることが出来るだろう。そうして僕はもう存在しない筈だった。かつても存在せず、そして今も存在しない筈だった。存在するのはただこの壁、この余所者だけである筈だった。僕は埃のようにただ風に従ってどこかへ吹き飛ばされるがままでいる筈だった。僕にはどんな抵抗力もなく、どんな些細な意志の痕跡も消し去られ、何も感じず、何も考えず、ただ恐るべし客観性の海の中を漂っていれば良い筈だった。それなのに、暗闇は変わることなく暗闇であって、もはや何も感じず、どこにも進むことの出来ないこの僕は、結局は暗闇と向き合っており、そして窒息寸前なのだった。僕はもう選ぶ必要がなく、どこかへ向かおうとする気力を必要としない筈だった。そもそもそんなことは不可能なのだった。僕に出来ることは気まぐれな風がどこかから吹いてくるのを待つことだけだった。それなのに全ては止まったままであり、何の兆しも見えないままだった。僕は解体されていなかった。僕は自然の諸力と混じり合っておらず、諸力によって運動する物質の数々へと分解されてはいなかった。僕は僕ならざるものによって僕であって、大いなる力の流れの中に紛れ込んでおり、それにも関わらず果てしない幽閉の内に苦しめられていた。

 僕が自己を放棄した以上、この現前は僕の手によるものではあり得なかった。この現前は僕の預かり知らぬ統一の要なのだった。どんなにちっぽけな要だとしても、その意味や目的が永遠に隠されているにしても、それは世界をしてこの僕をあらしめる必然性の証なのだった。それなのに、今や現前しているものは苦しみだけだった。この苦しみこそがサインなのであった。これは不可解なことではないだろうか。承諾しかねることではないだろうか。苦しみこそが兆しであり、僕ならざるものが僕の意識を使って、他でもないこの僕をどこかへ連れ去ろうと命じているというのは。僕を打ち砕き、僕から意志を放棄させた当のもの、僕の自由を根こそぎにしたこの不可避の運命、僕が心を開かざるを得なかった、僕が身を委ねることを強要する他なかった外圧が、今度は同じ力でもって僕の自由意思に頼むというのは。僕から方向感覚を奪い取り、足を踏み止める地盤を奪い去ったその力が、苦しみによって僕に、僕が持つべき自己に、行動をけしかけているというのは、承諾しかねることではないだろうか。しかし、それがこの依然として続く無風状態が意味することに他ならなかった。

 この苦しみ、この痛みは決定することの不可能性から生じていた。決定することの不可能性、それは決定しないことの決断ではなかった。全ては停止していた。だけどそれは目に見えないほどに微かな震えによって、てんでばらばらに飛び行こうとする力の数々がもたらす痙攣によって、停止を装っているに過ぎなかった。苦痛、それはこの痙攣のことなのだ。凡ゆる決断は挫かれていた。ここでは停止することは許されていなかったのだ。それら数多くの力は決して連帯することがなかった。これら諸力は束ねられ、運動を齎さなければならない筈だった。諸力の痙攣が偶然一致し、その反動を巻き込みながら振り子のように次第に大きくなり、一つの意志へと成長しなければならない筈だった。意志、それは身も蓋もない偶然の作用の結果として生まれたのであり、それは何事かの原因ではあり得ず、何事かの動力ではなく、何事かによる慣性なのだ。そして我々が頼りにする信念、慣性を持続させ、永遠と見紛うほどにまでする信念というものがあった。しかし僕は信念に縋ってなどいなかった。信念は船のように僕を乗せて揺蕩っており、何か異様な危機を察知した時には、既に縋る価値を見出していたことが不思議に思われるほどの無残な木片と化していたのだった。信念が崩れる時、いつもそれは壊れるのではなく、始めから壊れていたことが判明する形で、その故障を僕に伝えるのであった。してみれば信念は所詮、慣性にビラを打ち付ける杭であって、打ち付けておく支持体そのものがなくなって仕舞えば、宙に置き去りにされて消え果ててしまうものに過ぎなかった。そして意志を失った僕の目には、この痙攣するゴツゴツとした苦しみ喘ぐ物体の数々が映っているのみだった。まだ光さえも存在しないにも関わらず。何故なら光は既にして一つの力の所在を証明しているのだから。始めにあったのは、実はそれは始まってもおらず、ありもしないのかも知れないのだが、暗闇の中で痙攣する物体だった。こうして僕は痙攣する物体を見出した。しかし未だ光なく、方向も失ったままであった。つまり僕は浮上したのではなかった。僕は帰還したのではなかった。

 物体は形なく、輪郭を滲ませながら、ゴムのように膨らみ、内側から力を加えられて止むことなく変形し、しかし岩石のように確固として宙に浮かんでいた。それはどんな感情も呼び覚ますこともなく、記号を持たず、何かの象徴であることもあり得なかった。またそれは表情を変え続ける顔のようであり、奇声のような不快な音を発しながら、休むことなく喘ぐように捻くれて、そして震えていた。それはどのような観点からも馴染み深いものではなく、見るに耐えないものであった。それはそれと名指すことが出来ず、つまり対象でさえなかった。それは見られることを拒んでおり、見られることの可能性の否定そのものであった。そいつを前にしていると僕は吐き気を催すのだった。僕の苦痛、それは今、急激に吐き気へと変わっていた。それは人々に気付かれることなく、大地の底で忘れ去られていたのだが、しかしそれは未だかつて決して眠りに就いたことのない、邪悪の本源なのであった。

(2022.1.7)