スクリーンの空

パロディ

停泊地

 最近書いた雑文の適当な羅列。

 

 

 たとえば美しい景色を見る時、時々僕の魂はいなくなった友人と手をつないでいる。それは言うまでもなく本当の彼女ではないし、僕の思い出の中にある追憶の姿でさえない。生ぬるい倦怠や哀しみに僕を繋ぎとめようとするだけで、強く生きる力を与えてくれる訳ですらない。もはやそいつは死者や亡霊に属する存在へと成り果てている。だから彼女の面影と共に、生きることの否定へと僕の意志は流れて行ってしまうのだ。彼女がいなければこの世界は美しくないとでも、どこかで僕は思っているのだろうか。出会いや思い出の価値を貶すつもりはない。でもこういうのは違う。こういうのは良くない。

 別に感傷に浸っている訳ではなく、漠然と意識の流れが疎外されている感覚があるだけなのだ。結局、望みは象徴として具体的な人の姿を取って結実するのだろう。たとえば美術史を紐解けば分かる話で、人物の姿は感情移入するのに余りにも手っ取り早く強力なので、一度深く内面化されてしまえば、そこから切り離されることは生命そのものを否定するような、何か根本的な違和感を起こすのだ。もちろんその違和感は克服されなければならない。そうでなければ、生きることを放棄しているみたいじゃないか。

 

 

 むかし、「もう遊んであげない」という言葉で人を傷付けようとする子供がいた。その言葉が発せられるまで、おそらく両者の関係は真に対等で純粋だった。突如、煩わしく嫌らしい政治性というものが顔を出したのだ。僕は電撃を受けた様に硬直してしまった。そしてショックはすぐに次の疑問に変わった。「何故この人は自分の存在に人を傷付けるだけの力があると思い上がっているのか?僕と君はお互いに好きで付き合っているのではないのか?」 しかしそうした感情を適切に表現するには僕は幼過ぎた。だから僕の政治性への抵抗は、恐らく先天的な性格の助けもあって、自己効力感の否定という形を取ったのだと思う。僕は友達に向かってこう口にする。「僕は君にとって、いてもいなくてもいい。」 僕なんか必要な訳がないのだから。こんな風に安直な反対意見をぶつけること位しか出来ないのだった。言葉にした途端、全か無かという思考の窮屈さを感じた。本当はこんなことが言いたいのではないのに。こうした言葉は、余計に人を困惑させ、傷付けるだけだった。この態度は責任の放棄以外のなんでもないから、僕は実際に多くの子供以上に残虐なことを仕出かしていたと思う。そして政治性を自覚した言動が人を惹きつける力は凄まじく、自惚れや傲慢は脅威的な権力であると同時に、純粋な魅惑なのだった。時を経ても誰一人その力から逃れられはしない。

 バランスを取らなければならない。所詮バランスというものが多数者の声によって構築される都合の良い虚構だとしても。自分は価値のある存在なのだと言い聞かせなければならない。恐らく、きっと、本当はあってもなくても構わないのだろうけど。僕は君と無関係じゃない。僕は世界と無関係じゃない。僕は君を愛し、傷付ける。僕は人々の自由の前に立ちはだかる。僕は有用な人間だから、ここにいてもいい。他人の目。他人の目。吐き気がする。

 

 

 身体を包み込む空虚感が、僕が出会ったもの、僕が見てきたことの価値は、僕にとって本質的ではないのだとその都度証明してみせる。その時は本当に楽しいと思い、その時は本当に感動したもの、そうした全てを飲み込む暗点……それは深淵に開いた穴で、凡ゆる表象を吸い込み、一筋の光すらその中心へ届くことはない。というのも、僕は変化し続けるのだから、当然それに伴って僕が求めるものも変化するに違いなく、だから僕は腹を空かせるようにして、絶えず充実の鮮やかさを枯らし続けてしまうのだ。たぶん存在する者全てに課せられたこの貪欲……色彩を喰らう者、彼らは本源的に満足することを知らない。僕の責任に見えるものは、実は全て彼らに負っているのだ。表面的なものを幾ら引き裂こうと、この穴は「全て思うことの出来ること」を「見かけ」として再生する……ただこの空虚だけが永遠なのだ。それは停止とか変化とかいう概念を超えるものであり、だから永遠とは、ただ言語を絶していることだけを意味している。

 ただ言語を絶していること。本質はない。意識に到来するもの全てが青空を装飾する。

 創造の瞬間は一種の和解であるに違いない。インスピレーション以前、イメージ以前には、世界は敵であり、異質な物体として、立ちはだかっている。創造は愛であり、それは他なる者と手を繋ぐことに違いない。しかし我々は和解の可能性であると同時に、孤立への可能性でもあるのだ。何故ならば我々は動き続け、世界は静止していない……均衡は崩れ、離別は訪れる。これは世界観ではなく、平静が破られるあの瞬間、地盤の喪失を感知するたびごとに、確実に生じる経験なのだ。我々は世界と共にある。しかし同時に我々は、世界を手にしているのではなく、他なる者に委ねられ、突然ここに、異物として、意味も目的もなく、投げ出されている自己を自覚する存在でもある。一方は一方の中に可能性として含まれ、常にもう一方に向けて始まり続ける。終点はない。

 親しみの失せた世界。屹立し、罅も隙間もない白い壁。もはや誰も現れないだろう。誰もいないのだから。僕はしかし、期待することを知っている。未知への、すべての知られざる場所に向けての期待。既に終わっていることを理解しながらにして。あらかじめ感じてしまう失望を実際の失望以上に強く味わいながらにして。期待すること。全身は矢の様になる。やがて重力に屈して、後には力なく撓む弦だけが残される。

 

 

 時間が余っていても、不安に苛まれずとも、記憶がうず高く積もっているというだけで身体が重くなる。特に生きたという実感のない人生だから、あまり思い出すことなんてないのだけど(或いはむしろ、そのせいなのかも知れない)、思考は膨大な欠如と隙間を縫い合わせようと必死になる。

 何もなかった。それで子供のようでなければ日々を生きられない。幽霊のようでなければ古い土地にしがみ付いてしまう。

 

 

幼児の素朴さで「人を何故殺してはいけないか?」と問うているのではなく、人とゴキブリの差が感性的な次元で、もはや分からなくなる、最悪の、凍り付いた瞬間がある。

 宗教性とは心穏やかに獲得されるものではない。無意識に抱いてしまっている事物への愛着を暴力的にもぎ離す過程が必要なのだ。全く綺麗事ではない。剥き出しの、何の意味もない、ただの暴力である。その後で人間やゴキブリなどといった枠組みから外れた純粋な表象が現れる。或いは現れないかも知れない。それはただ詩であり、恩寵であるから、誰にも予期できない。

『恩寵を招くものもまた恩寵である。』(シモーヌ・ヴェイユ

 この言葉の意味するところは、暴力が神の恩恵であるということだ。無感動と麻痺への失墜。しかしそれが神の意志であるなどと信じることなく、完全に惨めになって落ちていく必要がある。宗教的共同体の歴史は失墜を人為的に為そうとする試みの結晶である。しかしそれが本当に純粋さへと届くことはない。あったとしても非常に稀である。何故なら共同体はその成員への世俗的な愛情を基底に持つものだから。偉大な聖人は宗教的共同体に名目上は属していながら、全実存を賭けて完全に社会から断ち切られて孤立していたのだ。そしてそれは自ら意図した孤立ではなく、外から与えられた使命として余儀なくされた断絶だったのだ。それは後から物語られるのとは異なり、実際には微塵の崇高さもない、単なる馬鹿げた事故の有様だったのだ。

 

 

 死ぬのは怖くない。分かり切った話だ。どうなるかは分からない。だけどどうなるか分かっている。この間に矛盾はない。今こうして生きているのと変わらず、僕は外部に晒されていくだけなのだ。知る事のできない何かが僕を浸していて、それは永遠に僕を、僕が僕でなくなっても、浸し続ける……僕をして僕を動かしている誰かがいる。そいつは感じ得るものさえ彼方から来て、また無へと帰っていく。だけど僕は「何かを感じる」ということが出来ているか自信がないんだ。それが問題なんだよ。馬鹿げたことがしたくても、何も思いつかない。抑鬱的な性質が骨の髄まで染み込んでいるからね。ちっとも愉快になれない。きっと、本当はどんなことだって楽しめるはずなんだ。誰でも思いつくような下らないことでも、それは最高だ、と言って笑いあえるはずなんだ。僕は最後まで笑えそうにない。結局何も楽しめないのかも知れない。自分は面白いことをやっているのだという惨めな自覚に、喜びを感じるフリをすることしか出来ないのかも知れない。それでも僕らはこんな冷たい感情だけを媒介にして知り合った訳じゃないはずだ。僕らの共通点は、何も感じられないということに対する意識だけではないはずだ。それが何なのかは分からない。或いはもうとっくに分かっていて、言葉にされないだけなんだろう。思うんだが、きっと全部が良くなった後でも……そうじゃなくて、始めから全部が良かったのだとしても、やっぱり僕らは出逢うことが出来たに違いないんだ。いつか、どこか遠く、未来で、或いはすぐそこで、明日か明後日かも知れないけれど、君はまた僕に声をかけるだろう。水溜りの波紋のようになって、柔らかく降り積もる影のようになって。別の存在となって。別の存在となって。そして僕は君の声、君の姿を認めるよりも早く、もう君を知っているのだ。君が君だということを、最初から知っているのだ。そのとき僕には分かるんだ、君が「それ」だということが。僕は信じる。怖いことなんてない。僕には確信があるんだ。

 

 

 三月に大学を卒業していました。まぁ、このブログに大学生だと書いた記憶はないけど……。体調が優れず、一年留年しましたが、今は問題なく働いています。