すべて一つの生き物は

 誰もそれを言葉に出来ないし、言葉にした所で僅かばかりでも意味あることは伝えられないということならば、分かり切っている。僕たちはすぐ隣にいる人とさえ、感情を共有しているなどと言うことは出来ないのだ。だけど現にそれが起きているこの世界で、僕に確信出来ることだってある。例えば自己と他者のあいだで、触知することの叶わない無限の中間地点に、誰でもない者の声がいつも微かに谺していること。

 

 きっと始めは彼、一人の奏者の意図から外れた音色の、何か違和感のようなものだ。他の人もまた同じようにそれを感知しているのか、決して確かめることは出来ない。にも関わらず、あるかないかの気配が消えてしまわないように、全ての奏者が自らの呼吸を僅かに注意する。誰もが同じ一つの、たぶん外からやってきた声のトーンに耳を傾けていることを、このとき僕たちは既に感じ取ってしまっている。理由は分からないけれど、この予感にはそうした求心力があるのだ。そしてそれは起こる。何が契機となったのか、発火や沸騰のように突如として。僕たちに理解出来るのは性質が変化したという、ただその結果だけだ。はっきりと分かる、『あの瞬間』に何らかの閾値を超えたということは。それなのにすべてが終わった後で、一切の印が残ることはない。だってそれはただ一度しか起こり得ない現象なのだから。

 それは余りにも遠くから聞こえて来るので、あたかもあらかじめ僕の胸の中で響いていたかのようなのだ。兆候はそこにあり、しかし誰がそれを掴んだという訳でもなかった。気紛れな風が合図となるのを、たぶん皆が期待していたのだ。何故なら純然たる偶然がないとすれば、異なる意識が一致する瞬間を、誰に思い浮かべることなど出来るだろう。すべて一つの生き物は、こんな風にして息づき始める。心と世界の真ん中で。音楽が生まれたのだ。