スクリーンの空

パロディ

或いは眠りながらのようにして

 表象から別の表象へ。有用性なのか、それとも芸術的な、あるいは神秘的な、目的は分からない。だけど僕らは何かを望み、何かから望まれるだろう。そして裏切られるのだ。僕たち自身が表象の一部なのだという事実によって。僕たちの内で何かは存続し、何かは滅びる。投げられた賽の目は、問題にすらならない。

 僕たちは表象の、その奥を見る事はない。そこには何もない。何かが目に映り、欲望と呼ぶものによって、与えられた尺度によって、承認する事。それか嫌悪する事。対象は変わるが、形式は変わらない。僕が何かを成し遂げたなら、その事実によって、それは認められる。それとも認められる事で、成し遂げたという事になる。そして僕は生きられるだろう。僕は勝利したのだろうか。そうではなく、怪物の背に乗ったのだ。ただそれだけの事なのだろう。誰かが、欲するものを欲する。僕は僕の欲するものを欲する。太古の昔から、連なる表象の歴史。それは刻み込まれ、時間を超える。或いは葬り去る。気まぐれの判定によって。それは在り続ける。

 無数の感情が僕の内面に映し出され、選択をする。僕が、ではない。だって僕が美しいと思うものは、どうしようもなく美しいのだ。誰も選ぶ事は出来ない。人間は消え去る。それはそうなっているのだ。

 生きているのは。移ろい、殺し、眠るのは。残酷なのは、言葉なのだ。僕はそれを、僕を傷付け、今も誰かを傷付けているそれを、利用する。快楽から、恐怖から。動機は何だっていい。餌食になるよりは、むしろ積極的に。或いは何も感じずに。何も考えないように。僕は今こうして生きている。

笑いが、夢が、そして眠りの中でおびただしい屋根が、残骸となって雨と降る......何も知らぬこと、果ての果てまで(恍惚の果てではない、眠りの果てだ)何も知らぬこと。

 きっと敗北なのだ。だけどもう抗う必要はない。それは決定された敗北だったからだ。現実を舐め尽くす事で、価値をそのまま転倒させられる。虚無も恐怖も、味わう事が出来る。それがこの世界の答えだという事。僕たちは何も知る事はない。僕たちは一筋の痕跡も残す事はない。この上なく完全に諦めて、それでも僕は、理由もなく何かを摑み取ろうとするのだろう。何かを捕らえてやろうと試みるだろう。無駄だと知りつつも、命令を受けたマシンの様に。次に来る感情を既に感じながら、駆り立てられて、約束された失敗に向けて、それは繰り返されるだろう。そうする事が定められているかの様に、死に物狂いで。或いは眠りながらのようにして。