スクリーンの空

パロディ

彗星

 あと一歩を踏み込めば、僕はこの世界から消えてなくなる。誰かが少し背中を押しさえすれば、それは為されるだろう。目の前を轟音が通り過ぎる。だけど僕はまだ黄色い線の手前にいる。恐らく同じ時、どこか別の場所で、彼は五十八錠もの睡眠薬を飲み干した。十五歳の時。それなのに僕は立ち尽くしたまま。二日後に彼が病院で息を吹き返した時も、同じ場所で立ち尽くしていた。


 生きていく事の困難や、日常の煩わしさからの逃避、数え上げれば切りがない程の呪い。そうした理由をどれだけ積み上げても、決して一つの行為へ踏み切る説明にならないことなら、誰だって知っている。

 だけど、そうではなかった。僕達は何一つ説明しようとしなかった。道徳や哲学を口にすることは即座に過ちだった。正当性というものは問題ですらなかったのだ。

 

 夜空を走る光が流れ星の全てであるように、深い眠りに就くよう静止する身体は彼であり、引き千切られて地に横たわる身体は僕だった。イメージは余りにも速く来た。動物と亡霊達の騒めく沃野を貫いて、それは心臓のリズムと同期する。僕達は確かにそれを掴んだ。なのに次の瞬間にはもう、捕らえられているのはこちらの方なのだ。

 

 それは生物学的な死を意味していたから、僕達も自然、それを自殺と呼ぶことにした。そうすることで何かが明確になるような気がしたからだ。だけどそんなことさえも僕達にとっては、偶然でしかなかった筈なのだ。それが死を意味するという事実は、死のビジョンに比べれば、不純で、取るに足らないことだった筈なのだ。

 

 それだから僕達は、本当は自殺を試みたのではなかった。僕達が必死になって手に入れようとしていたのは、命を終わらせることではなかった。きっと、だから彼は息を吹き返したし、僕はいつも線の前で立ち尽くしていた。

 

 (単なる回帰する物語として。)

 

 彼は生き返った。僕は死ななかった。

 目の前を通り過ぎる轟音を、今も目撃している。

 彼は生きている。僕は生きている。