曇り空の系譜

 青く透明な空に、もくもくとした遮蔽物が浮いている、というイメージが重苦しさを余計に連想させていると思う。僕は白くて清潔だから好きだけどな、曇り空。

 

 そういえば「色彩家は曇天の下でも美しい画面を完成させなければならない」なんて事をドラクロワが言っていた(台詞はうろ覚え)。その言葉通り、ドラクロワの色彩の発見は、まず視覚から明暗による認識を否定する事から始まったに違いない。それから勿論、透視図法的な遠近法も取り去られている。

 そうして物から固有色を解放した彼の成果はその後、燦々と煌めく光を描き出す印象主義者や、精神の奥深くに眠る暗闇を色彩その物の効果よって表現するルドンら象徴主義にまで引き継がれ、それぞれ独自の形式へと発展する。

 しかし爆発的な色彩が与える心理効果を、その発明家にして既に知り尽くしていたであろうドラクロワは、特に代表作『サルダナパールの死』に於ける、財産の全てを略奪される最中に退屈そうに無表情を保つサルダナパールの描写と、凄惨な場面に似合わない画面全体の静謐感に見られるように、「刺激の中での倦怠」というモデルニテの精神の萌芽を、その画面の中に早くも予告しているかの様だ。

 その意味に於いてドラクロワの精神の後継者と言えるのは、幻想的効果を排し、人間の剥き出しの生を描いたマネであり、その知覚に於ける後継者は、色価によって全く新しい空間を出現させたセザンヌなのではないか、と思う。彼らの作品は、同じくドラクロワの影響下にあるモネやルノワールなどの画面と比較してみても、事物の捉え方の違いは瞭然だ。それは自然光を排除しなければ立ち現れる事のない冷徹なリアリティ、つまり曇り空の系譜としてのドラクロワ後継者。

 そして原始美術との邂逅を経たピカソによって、画面に豊かな生命感は取り戻される。しかし事物を優しく照らし出す太陽に逆戻る事など有り得ない。それは画面の内側から照射し、命を焼き尽くしバラバラに破壊しようとする太陽による、逆説的な生命の表現だ。

 

 なんて感じで、個人的に好きな大画家についてぼんやり繋げて考えていた(少し無理があるかも知れないけど)。曇り空が齎した表現も豊かなのではという、思い付きの話。

 こういう文章を書くのは、どうも苦手ですね。僕は記憶の引き出しを開けるのが素早くないみたい。

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