タルパを作ろうという方へ

 始めに断っておくと、僕はタルパ使い(タルパー)ではないので、経験談を語る事は出来ない。僕はここで、タルパというものが人間の創造的な営みとしてどの様なものなのか、勝手に分析するだけである。タルパというのは、イマジナリーフレンドの様なものを自力で意図的に創造する事らしい。一流のタルパ使いは自分で作り出した人間と他人との様に自然な会話を行い、姿もはっきりと視認する事が可能となり、当然声も聞き取れるいう。だがそうしたタルパに纏わる具体的な情報については他を当たって欲しい。僕がここで語りたいのは、「これは病的なものなのだろうか」という一点だけだ。結論から言うと、先入観のグロテスクさと比して実際は際立って危険でも奇怪でもないと個人的には思っている。

 例えば以前出会った人の姿形や声が自分の心の中に自立して生きている様に振る舞う事は自然だと思う。落ち込んでいる時に恩師が心の内に現れて、励まされたりする経験は誰にでもあるだろう。その時に現れた「恩師」は自己なのだろうか。単純な独り言とは異なるが、もちろん多重人格などではない。自己とは一個の同一性によって包括出来るものではなく、自己の内部には案外あっさりと客体が紛れ込んでいるもので、それは異常ではない。別の例を挙げると、一冊の本を読み通すと、作者の像がぼんやりと浮かぶ事がある。言葉は時間が経ち自分自身に馴染む様に受肉される事もあれば、そうはならず切り離されたまま残る事もある。心の中で引用的に尊敬する作家の言葉を扱う事も当然ある。そして良く読み込んだ作家ならば、その心象は実際に会った人の様な立体感を備える事がしばしばだ。そこに姿形や声色を与えるかは自由だが、そうした外面的な要素まで思い浮かぶ様になっても可笑しな事ではないだろう。つまり人格の創造は断片的ではあれど、ほぼ日常的に行なわれているのである。死んだ者を各々の心の中で(普段は忘れていても)生かし続けるのも同じ話で、これは病的どころか道徳的とさえ認知されている。そうした記憶や心象が「実在」なのか「虚妄」なのかを議論する事は馬鹿げている。対象を主観と客観で綺麗に分断する事など出来ないのだ。

 人間は心の最も深くに人生で蓄積された観念の束を持っており、それを(少々唐突だが)便宜的に《魂》と呼んでも良い。そう呼ばせてもらおう。人間は自らの《魂》にアクセスする為には目に見える形象を必要とする。それは声であったり、姿であったり、絵画であったり、音楽であったり、詩であったり、愛する女性であったり、懐かしい匂いであったり、物語であったりするのだが、とにかく《魂》はただそれだけでは存在を危ぶまれるものであり、《魂》は形象を糧に育ち、形象によって意識と繋がる。凡ゆる記憶、凡ゆる創造性が形象と結び付く事で存在する。

 タルパは人間に可能な表現の一形式以上のものではなく、それ自体が忌避される行いではないのだと僕は考える。どの様な感情、意図、目的によって「形象化」されたかによって、その健全さと有用性が測られるべきであり、言うまでもなくそれはその他の表現行為に於いても同じ事だ。危険な書物があり、危険な音楽がある。その危険性の指標は、時や場所によって異なるだろうし、各々が自分自身の心と照らし合わせてみなければ分からない。当然、依存度は問題となるが、過剰な依存が危険でない営みはない。

 励ましの言葉や声を思い出すのが健全ならば、発話者の姿形や人格を付与しても、健全な想像力の範疇である。タルパを生み出す事は例えてみるならば、完全に記憶し、表現やイメージを隅々まで自在に思い浮べる事が出来る一冊の本を、頭の中に携帯する様なものだろう。確かに普通の人はそこまで徹底的な読書をしないだろうから、その意味において極端な営みではあるかも知れないし、その様な徹底さにはタルパにせよ読書にせよ同じ様なリスクが付きまとうだろう。人格の仮構が自然な営みである事は先に述べたが、それにどの程度まで生々しさを施すかは、各人の資質と「愛」そして「勇気」次第なのだ。

 大切なのは自分自身の《魂》に適合する形象を耐えず探し、更新していく事だ。一冊の本で足りなければ、次の本を読み、次第に自らの思想や世界観に深みを与えて行く様に、自分自身に相応しいタルパを生み出す事だ。文字で記された虚構の世界と、姿形を持った虚構の人格のどちらが危険などと問う事は出来ない。世の中に書物ほど危険な劇薬もないと言えるのだから、一つの形式を取り沙汰しての否定は、誰にも出来やしないのだ。故にタルパはそれ自体として不健全な営みとは言えないだろうと考えられる。

 僕はやらないけどね。

 

 ところで、フェルナンド・ペソアというポルトガルの多重人格者(!)の詩人がいるのだが、彼は僕が崇敬する詩人にして、歴史上最も名高いタルパ使いである事を保障する。不安や自我の危うさを主題とした薄暗い詩人なのだが、タルパ使いという事を抜きにしてもその詩作の美しさは比類なく、これからタルパを作ろうという方も、そうでない方も、この機会に読んでみてはいかがだろうか。平凡社から出てる『不安の書、断章』がペソア入門として最適だ。

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