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他者性とフィクション

物語世界の中の他者は、もうその時点である同一の世界観に所属させられる事で歪められた他者であり、恐らく物語というのは他者を都合良く解釈する装置であり、他者と真に隔たっているという事を表現する形式ではないのだろうという事を良く感じる。しかしこ…

機能とか説得とか

傷付いた人に対して合理的に、物質的な手当てをするだけで良いのに、人間はそうなってはいない。物質的な手当てとは勿論、傷口を塞ぎ生存率を高める為の行為なのだが、その場合の合理性とは生存を目的として逆算された合理性である。それとは別に傷口を塞ぐ…

シモーヌ・ヴェイユの悲劇と詩

シモーヌヴェイユの著作を読んで個人的に考えた事です。正統な解釈などではないです(ヴェイユに関してそんなものがあるとしたらですが)。 ヴェイユにとって、詩、即ち美の発見には恥辱、悪による実存の引き裂きが必要である。美とは我々をうっとりさせるだ…

意思疎通

僕は自分の思考や感情を少なくとも理解可能な言語によって順序立てて説明しようと思っている。しかし他者に於いてそれがどの様に受容され、どの様な考え方に落ち着くかは、僕の知る所ではない。異なる人間の意識との間に同一性を求める事は諦めるしかないの…

共同体の所作

特売セールスや福袋などに絶叫しならがら集る人々とか、アイドルのライブでみんなで手を挙げてリズムに合わせてジャンプするノリ(正式になんて言うのか知らない)などを、新興宗教と並列で見せる様な演出を映画などで時々見る事があるのだが、以前の僕には…

疑う事

「あなた達は思い込みで現実を決め付けている」なんていう台詞を丸でキャッチフレーズみたいに使う輩がいる。しかし全ては思い込みなのだから、我々はどちらがより機能するかという水準で決定するしかないのではないか。そもそもそれはプラグマティックな主…

愚者

愚者は愚者の言う事にしか耳を貸さないし、愚者の言葉に共感し賛成する。その事に不満を言う訳にはいかない。人々は正しさを求めているのではなく、快い生活を求めているだけかも知れないのであり、基本的にその態度は否定されない。愚者が愚者の共感を求め…

顔を失った

この文章は神経が尖っていた時に書き留めていたメモを纏めたものです。 再び世界がネバつき始める。その理由が僕には分からない。一種の神経症なのだろうか。確かに極度に神経質になっているのを感じる。目に付くものが尖り、色彩は煩く、直視出来ない。通り…

タルパを作ろうという方へ

始めに断っておくと、僕はタルパ使いではないので、経験談を語る事は出来ない。僕はここで、タルパというものが人間の創造的な営みとしてどの様なものなのか、勝手に分析するだけである。タルパというのは、イマジナリーフレンドの様なものを自力で意図的に…

屈折した少年の話

僕は何故、人と同じステージに立とうとしないのか。何故あらゆる大衆的な表現への参入に嫌悪感を覚えるのか。僕が大衆的という言葉を使う時、何故そこまで極端な厳しさを帯びるのか。それは他者と共有可能な言語を忌避して、余白に目掛けて逃げて行く致命的…

引き裂き

お前が生み出したこの膨大な言葉の連なりとお前自身との間にどういった関係があると言うのだ。考える事自体の遊戯的な楽しみ以外にどの様な絆があると言うのだ。 お前そのものだと思って必死に積み上げて来たお前の言葉、そうした言葉はかつて、確かにお前の…

解像度

不幸や痛みの経験が他人の気持ちが分かる人間になる条件とは思えない。ある程度の不幸しか負っていない人は更に強烈な不幸の体験には共感不可能であり、余りにも過酷な目にあった人はそれほどの苦痛を感じていない人の気持ちなど理解出来ない。全く現実を苦…

詩の出現

個人的な意見だが、嘆きを嘆きとして表現するだけでは優れた詩にはならないと思う。矛盾を抱え込みながら対立を乗り越えるか、対立そのものを美として提示しなければ(それを乗り越えと言うのかも知れない)ならないという気持ちがある。嘆き悲しむ者は許し…

依存

依存という言葉はしばしば範囲が制限されずに、他者の振る舞いに対する批判に使われる。だが依存する事が悪いという事はない。日常、依存という言葉は大方、健康に害を為すとか、単純に鬱陶しいとか、ある振る舞いに対する嫌悪感の表明といった文脈で扱われ…

ある雨の日の天啓

プロローグ その日の僕は雨の日の誰もいないビーチで膨れ上がった溺死体が引き揚げられるのを一人眺めていた。性別不明の水人間の口、かつて口であったと思われるボソボソとした穴の中から鮮やかなオレンジ色の魚、カクレクマノミが一匹這い出てきた。きっと…